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 ぶらり歩き  
 3.境川を歩く (13)                               平成14年8月31日
 前回から三週間のブランクがあり、どうもお腹の出具合が気になってきた。真夏の暑さもピークを過ぎたと軽く見て、腰に子どもたちからプレゼントされたヒップバッグを着け、7時10分に家を出て大和駅に向かう。
 大和駅から境川を目指し、境橋に出る。以前、海老名市に住んでいたときに何度となく利用した橋であるが、歩いて渡るのは始めてのことである。境橋を過ぎると、川の流れが速くなり、見た目には魚の姿を確認できない。鳥の姿も認められず、境川を下るに従い、次第に都市化が進んでいるのかもしれないが、境川右岸の大和市側には川に接近して家が建ち並ぶものの、その奥には森の木々が続いている。

 今日のウォーキングでは3つの左馬神社(さばじんじゃ)をめぐることにしているが、最初の左馬神社(写真35)は大和市上和田にあり、民家が建ち並ぶクランクした道のところにある。境内には鐘楼、神楽殿が並んでおり、案内板によると、江戸時代の宝暦14年(1764年)3月に名主渡辺兵左衛門と小川清右衛門が、この地に宮を建立し、左馬頭源義朝の霊を勧請したことに始まるようである。以来、五穀豊穣はもとより家内安全の守護神として広く世に伝わって崇拝を集め、国土安隠、氏子崇敬者の安泰(疫病、ほうそう、厄除)守護を念ずる参詣者今も多いしいう。鳥居の左側に、4基の庚申塔が並んでいる。

 左の庚申塔(写真36)は文化六年(1809年)に建立され、青面金剛三猿が刻まれている。
 右の庚申塔(写真37)は嘉永三年(1850年)のもので、「庚申の三文字が刻まれている。

 
 再び境川に戻り、宮久保橋の手前に堰があり、これから下流に下るに従って何箇所か、規模の大小はあるものの堰が設けられており、歩き始めた橋本宿辺りで目にした自然の残る流れとは変化してきたことを感じる。気のせいか、川底が次第に低くなり、流れも速くなったり、停流したりしている。
 
 
 
写真35(上和田 左神社)
 
写真36(左馬神社 庚申塔)
 
写真37(左馬神社 庚申塔)

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